「アライメントなし」についてざっくりまとめてみました

アンアライメントは、なぜ用意されたのか

アンアライメントという言葉を最初に見たとき、私は「9つのどれにも当てはまらないキャラのための枠」だと思っていました。
でも原典を読み直すと、順番が逆だったんです。
この欄は、そもそもキャラクターのために用意されたものではありませんでした。

サメは獰猛だけれど、悪ではない

アライメントは、道徳的な選択をする存在のための欄です。
裏を返すと、選ぶ場面がそもそもない相手には、この欄を書く意味がない。
原典が例に挙げているのがサメでした。サメは獰猛な捕食者ですが、悪ではありません。腹が減ったから狩る、というだけのことに、善悪の物差しを当てる場面がないからです。

同じ扱いになるのが、森の獣、生い茂る植物、命じられた動きだけを繰り返すゴーレム、そして通路に仕掛けられた罠です。
どれも物語の中で人を傷つけますし、時には殺します。
それでも「悪」の欄には入りません。
選ぶという場面を、一度も通っていないので。

だから、強みも適職もシンボルも書かれない

ここが、この欄のいちばん独特なところだと私は思っています。
属性が「ない」のではなく、属性を書く欄そのものが立っていない。
すると連鎖して、その先の項目も全部立たなくなります。

サメの適職を考える人はいません。
茂みの弱点を2つ挙げようとする人もいませんし、罠に似合うシンボルを選ぼうとする人もいない。
おかしいのは答えのほうではなく、問いの立て方のほうなんです。

この連作では、9つのアライメントについて強み3つ・弱点2つ・世界観別の適職・5つのシンボルを並べてきました。
この記事には、それが1つもありません。
書き忘れたのではなく、書く場所が立っていないほうの話です。

では、選ぶ意志のあるキャラをここに置いたら

同じ空欄でも、理由が正反対だということ

ここからが本題です。
創作でこの言葉を使いたくなるのは、たいてい獣や罠を作りたいときではありません。
意志があって、考えていて、ちゃんと選んでいる。それなのに9つのどこにも置けないキャラを書きたいとき、です。

そのとき、欄が空いている理由は前半とまったく逆になります。
動物や罠は、選ぶ場面がないから空欄です
いま話そうとしているキャラのほうは、選んでいるのに物差しが当たらないから空欄になる。
見た目が同じ空欄でも、中身は正反対なんです。

この区別を落とすと、キャラが一気に薄くなります。
考えていないから読めないのと、考えているのに読めないのとでは、周りの人物の反応がまるで変わってくるので。

このキャラを書くときにつまずく2つのところ

正直、この造形は書きにくいです。
私も設計の段階で二回つまずきました。……たぶん、多くの人が同じところで止まると思います。

ひとつめは、空っぽに見えてしまうこと。
何を聞いても手応えが返ってこないキャラは、書いているうちに背景に近づいていきます。
これを避けるには、内面を足すのではなく、選んでいる場面を書くのがいいと私は思っています。
水を汲みに行く、寝床を整える、右の道を選ぶ。判断はしているんです。ただ、その判断が善悪の軸に乗っていないだけで。

ふたつめは、特別な存在に見せたくなること。
どこにも属さないキャラは、書いているうちに「誰よりも身軽な存在」として持ち上がっていきがちです。
ただ、そう書いた瞬間に、このキャラは9つのマスのどれよりも上の位置に置かれます。
枠の外にいるという設定が、いつのまにか格の話にすり替わっている状態です。

私は、どちらにも寄せないのがいちばん扱いやすいと思っています。
欠けてもいないし、優れてもいない。
物差しの向きが合っていない、それだけの状態として置いておく。

物差しが空転する3つの場面

ここからは、このキャラを実際に動かす場面です。
9つの記事では「そのタイプが輝く瞬間」を書いてきましたが、この記事では少し形が変わります。
当人が何かをやってのける場面ではなく、周りが読み取ろうとして何も返ってこない場面のほうを書きます。

視点は3つとも、見ている側に置いてあります。
当人の内側から書いてしまうと、それはもう読み取れていることになるので。

詠唱が途切れた探知の魔法使い

魔法使いがパーティーを順に読み上げていきます。
先頭の戦士は正義寄り、後ろの盗賊は自分本位、その隣は判断を保留する型。手慣れた作業です。
最後の一人に向き直ったところで、詠唱が途切れました。

「何も、映らない」
魔法使いはもう一度唱え直します。二度目も同じでした。
術が失敗したわけではありません。読み取る相手はそこにいて、呼吸もしていて、それでも欄が埋まらない——魔法使いが不安になるのはそこです。

調書の筆が止まった尋問官

「お前は何のために、あれをやった」
そう聞いて、返ってきたのは沈黙でした。
ここまではよくあることです。黙秘は抵抗の一種で、抵抗なら記録できます。

ただ、しばらく向き合っているうちに、尋問官は気づきます。
この沈黙は嘘でも抵抗でもない。
答えを隠しているのではなく、答えの形をした持ち合わせが最初からないだけだと。
筆が止まるのは、書く欄が用意されていないからです

戦場を通り抜けていく背中

善と悪を賭けた最終決戦の場です。
両軍とも、その場にいる全員を数に入れようとしています。味方につけるか、敵として片づけるか、どちらかに。
ところが一人だけ、どちらの計算にも入ってきません。

勧誘もされず、敵視もされないまま、その人物は戦線を横切っていきます。
手に提げているのは桶で、向かう先は井戸でした。
両軍の指揮官は、あとになってその背中を思い出します。
あの日あの場所で唯一、どちらの演説も聞いていなかった相手として。

9種の側から見ると、この存在はどう映るか

このキャラの手触りがいちばんはっきり出るのは、実は本人を描写しているときではありません。
9つのアライメントを持つ人物と並べたときです。
相手が読み取ろうとして失敗する、その失敗の仕方が9通りある。ここが設定の宝庫になります。

善のマスから見たとき

秩序善の人物は、まず裁けません。
規範を持っている人ほど、目の前の相手にどの条文を当てるかを考えるからです。ところが適用先が見つからない。
結果として判断を保留し続けることになって、これは秩序善のキャラにとってかなりの負荷になります。
裁かないと決めたのではなく、裁く準備が終わらないままなので。

中立善は、救うべきかどうかの手前で止まります。苦しんでいるのかどうかが読めないからです。
混沌善はもっと単純で、解放しようがない。
鎖が見当たらない相手は、旗の下に呼べません。

中庸のマスから見たとき

秩序中庸の反応が、個人的にはいちばん物語にしやすいと思っています。
この人物は台帳をつけます。分類できないという一行を書いて、そのまま残す。
手元に残るのは、処理が終わらないという気持ち悪さだけです。

混沌中庸は逆に、最初の距離が近い。
「枠にはまらない者どうし、気が合いそうだ」と誤解して近づいてきます。
そして手応えのなさに戸惑う。混沌中庸は自由を選んでいるので、選んでいない相手とは案外かみ合わないんです。

悪のマスから見たとき

秩序悪にとっては、計算に組み込めない相手です。
この人物の強みは、盤面の何手か先を読むところにあります。
ところが予測式に入れる変数がない。読めない駒は、置く場所が決められません

中立悪は値段をつけられません。
取引は相手の欲しがるものを見つけて成立しますが、その欲しがるものが見えない。
混沌悪に至っては、燃やしても燃えない壁のようなものです。壊す取っ掛かりがない。
混沌悪の引力が唯一効かない観客が、ここにいます。

純中立だけは、隣に座れる

9つのうち一人だけ、平然と隣に座れる人物がいます。純中立です。
どちらにも与しないという点で似ているので、当然といえば当然に見えます。
ただ、この二人の似方はかなり危ういところがあって、ここが連作でいちばん誤解されやすい場所だと私は思っています。

純中立は、9つのマスの真ん中にいます。
どちらにも寄らないという位置を、9マスの中で選んでいる。選んでいるからこそ、そこに立ち続けるのにコストがかかります。
一方でこの記事のキャラは、9マスの外です。真ん中ですらない。
選んで真ん中にいるのと、そもそも盤の上にいないのとは、見た目が近くても別のことなんです。

物語にするなら、この差に気づいているのを純中立の側だけにしておくと効きます。
隣に座りながら、内心では分かっている。同類ではない、と。

測られる側に立つ日

9つの記事では、キャラが変わるきっかけになる場面を3つずつ挙げてきました。
この記事では1つだけです。しかも時間も場所も決めていません。

初めて「お前はどちら側だ」と本気で問われる日が、それにあたります。
問われること自体は、それまでにもあったはずです。ただ、たいていは受け流せる。
受け流せない相手と、受け流せない場面で、正面から聞かれる日がいつか来ます。

大事なのは、そこで答えられないことではありません。
答えの持ち合わせがないと、自分で気づいてしまうことのほうです。
誰かに指摘されて知るのではなく、口を開こうとして、出すものが手元にないと分かる。
ここまでずっと測る側の外にいたこの人物が、この日だけ、測られる側に立ちます。

何かに目覚める場面ではないので、そのあと劇的に変わる必要もありません。
変わらないまま、知ってしまったという事実だけが残る。……そこがこの転換点の使いどころだと私は思っています。

どの体系にも、外側がある

9つの記事には、それぞれ横串のセクションを置いてきました。
同じ特性を持つ別のアライメントへ、あるいはMBTIやエニアグラムの近い型へ、という導線です。
この記事には、その行き先がありません。共有している特性がないので、つなぐ先が出てこないんです。

ただ、行き先がないという事実そのものは、けっこう面白い情報だと私は思っています。
どの分類も、自分の物差しに載る範囲をどこかで決めているということなので。

MBTIは認知の型を測っていて、善悪は測っていません。
エニアグラムは動機の型を測っていて、秩序と混沌は測っていません。
アライメントは善悪と秩序を測っていて、そのかわり測る相手を「選ぶ存在」に限っている。
どの体系にも、測らないと決めた外側があります。

この記事から一本だけリンクを張るなら、純中立の記事です。
9マスの真ん中と、9マスの外。いちばん近く見えて、いちばん違う二つを並べて読むと、両方の輪郭がはっきりします。
アライメント9種の全体像のほうも、外側の話をしたあとに見直すと少し違って見えるかもしれません。

置き場所のないキャラを、それでも書くために

空欄は、欠けているという意味ではないこと

ここまで、書けないものの話ばかりしてきました。
強みの欄も、適職も、象徴になるものも埋まっていません。
ただ、埋まっていないことと、足りないことは違います。

キャラクターシートの欄は、そのキャラを測るために誰かが用意したものです。
用意した側の想定から外れているとき、空欄になるのは当たり前のことで、外れているキャラの側に不足があるわけではありません。

物差しの側を書くと、キャラが立つ

では設定として何を書き留めるか、という話をします。
私の答えは、このキャラ自身の項目を増やすことではありません。
周りが何を読み取ろうとして、どう失敗するかのほうを書きます。

やることは二つだけです。
ひとつは、そのキャラと関わる人物を2〜3人決めて、それぞれが何を確かめようとするかを一行ずつ書くこと。
もうひとつは、物語の中でこのキャラをどこに置くかを決めることです。
狂言回しなのか、他の人物を映す観測点なのか、どちらの陣営にも属さない第三者なのか。

この二つが決まると、空欄のままでもキャラが動き始めます。
強みの欄を埋めなくても、失敗する相手が3人いれば場面は3つ書けるので。

さあ、9マスの外から

アライメントの9つのマスは、キャラを分類するための道具です。
道具なので、当てはまらないものが出てくるのはむしろ自然なことだと私は思っています。
あなたのキャラがそこからはみ出したとき、手を入れる先はキャラのほうではありません。

まずは一人、周りの誰かを決めてみてください。
その人が何を確かめようとして、何を確かめられなかったか。
それを一行書いたところから、この造形は動き出します。