借りた灯
一
階段の七段目で、足音の返りが変わる。
ここから下は石の積み方が違う。
地下の防衛術は面積ではなく重ね掛けで施されているから、層の境目が踏むたびに音の形を変える。
一時管理区画の扉を押す。
蝶番は滑らかに動き、鳴らない。
保存部門が定期的に油を差している。
棚は三列。
手前から順に、番号札、留め金、麻紐。
第七棚の下段に、昨日運び込まれたばかりの木箱がある。
札の縁が綻んでいて、登録番号の下二桁が読めない。
油と埃の匂いが、扉を閉めた分だけ濃くなる。
指を札にかける。
紙は乾いている。書き直させるべきだろう、と考えて、それを明日の分の帳面に繰り入れる。
音が、先に来た。
足音ではない。
布の擦れが階段の途中で一度止まり、それから速度を上げる。
「あ、いた」
声は、わたくしの立っている方角へまっすぐ向いている。
角度に迷いがない。
「もう、妹ちゃん。角灯、詰所に置きっぱなしだったよ」
「地下に降りるのに手ぶらなんて。ほら、お姉さんが持ってきてあげた!」
ロゼさんは三歩で距離を詰め、両手で押し出すようにしてそれを差し出す。
近づいた分だけ、炭の名残が届く。
巡回に出る前に、詰所の炉を埋み火にしてきたのだろう。
受け取る。
重さは500グラム程度。硝子と真鍮と灯油、内訳は開けなくても分かる。
分かるのは重さだけで、それより先には、何も。
「ご親切に。痛み入りますわ」
「あんまり長くいちゃ駄目よ。ここ、冷えるんだから」
手が頭の上に乗る。二度。
それで離れた。
「巡回、あと二階分あるから戻るね。……ちゃんと上がってくるのよ」
布の擦れが遠ざかり、階段のところで速度を落として、消える。
札の綻びに指を戻す。
書き直させるべきだろう。
……先ほどたどり着いた結論に、もう一度戻ってきた。
二
棚を閉じ、扉に手をかけ、階段を上がる。
七段目。
目を切り替える。
一階の廊下は、窓が四つ。
石が色を着ている。
柱の根元に緑がかった苔の染み、床の縁に赤茶けた油の跡、扉の把手に真鍮の黄。
どれも先ほどまでそこにあって、そして、なかったものだ。
角灯を持ち替える。
硝子の面に、廊下の窓が小さく入り込んでいる。
……冷たかった。
芯は下ろされたまま。
火口の縁に煤は積もっておらず、油も減っていない。
持って上がっただけになった。
ロゼさんは、あの区画に灯りを一つも持ち込んでいない。
それでいて三歩で距離を詰め、わたくしの頭の高さを外さずに手を置き、二度で正確に離した。
声の角度にも、迷いはなかった。
仮説を三つ立てる。
体温——halflingの背丈とあの距離では、冷えた石に吸われて届かない。
呼吸——札を検めていた間、わたくしは息を詰めている。
残るのは音だ。石の返り、衣擦れ、扉の開いた分だけ動いた空気。
それを聴き分ける耳を、あの方はどこで磨いたか。
問うまでもない。
九年、灯りを必要としない歩き方を、あの方は積み上げてきた。
盲目化の解除は済んでいる。
二年前に、わたくしの手で。
目は戻った。
戻ったのに、まだ、あの耳のほうが先に走っている。
なぜ、いまも音で歩くのだろう。
第七棚の札。
明日、書き直させる。
読めない二桁を、読めるようにする。それだけのことだ。
角灯は、まだ手の中にある。
芯を下ろしたまま、廊下の色を、硝子の面にひとつずつ集めている。