メレストーン
錆びた剣亭で玉ねぎだけを目当てに料理を頼むことはないけれど、今の時期なら話は別だった。
玉ねぎは、季節がよければ厚くなる。
薄く切られて皿へ並んでいても分かる。
火の通った縁は透けているのに、その内側にはまだ白さが残り、フォークを入れると輪の一つ一つが抵抗を返した。
焦げ目のついた面には甘みがあり、油の香りは強くない。
赤では重い。そう考えて、今日は白を頼んだ。
普段選ぶ銘柄ではない。玉ねぎの甘みを残しながら、油だけを舌から流してくれるものを、と頼んだ結果だった。
二口目を飲んだところで、向かいの椅子が引かれた。
「こんばんは、ミセリコルデさん」
ゼノさんだった。
「こんばんは」
「お食事中でしたか」
「見ての通りです」
「それは失礼しました。ですが、冷めるまで待つほど楽しい話でもありませんので」
赤い肌に黒い上着。角も、欠けた尾の先も、右手の二本の指が途中で終わっていることも、もう見慣れている。
けれど今日は、席へ着いてから酒を頼まなかった。
「あなたのことを調べている人間がいます」
玉ねぎを切り分けていたナイフを止めた。
「一人ではありませんね」
「何人です?」
「そこはまだ分かりません。あちらが人を分けていますので」
「組織的に?」
「そう見ています」
ナイフを置いた。
「理由を伺っても?」
「もちろん。そのために来ましたから」
ゼノさんは卓上へ何も出さなかった。
書類も、走り書きもない。
「別々の情報屋に、似た時期から似た種類の買い付けが入っています。尋ね方も金額も違う。なかなか丁寧ですよ」
「同じ依頼だと判断なさったのですね」
「買い物の癖が同じなんです」
そこで初めて、彼は卓上の水へ手を伸ばした。
「聞いているのは、今のあなたより前のあなたです。どこで学んだ、誰に習った……。以前は誰と仕事をしていて、どこから来たか。そういうところですね」
現在の名義ではなく、その後ろ。私の過去に手を伸ばしている。
「かなりやり手ですか」
「ええ。上手ですよ」
評価に迷いがなかった。
「一人が全部を聞けば目立ちます。ですから分ける。頼まれた側も、依頼者は知っていてもその雇用者は知らない。一つ辿っても、次にもう一人いる」
皿の玉ねぎへフォークを入れた。
外側の一枚がほどけ、その下にもう一枚、同じような曲線が残った。
ゼノさんの視線がそこへ落ちる。
「まあ、そういうことですね」
「こちらは随分と肉厚ですけれど」
「そちらの方が良心的でしょう。食べれば減りますから」
玉ねぎを口へ運んだ。甘い。
ワインを一口飲むと、後へ残った油だけが薄くなった。
「それで、向こうは何か見つけましたの?」
「ほとんど何も」
答えが早かった。
「良い知らせです」
「では、悪い知らせも?」
「ありますね」
「まだ?」
「最初は、答えを買っていたんですよ。誰に習ったか、どこにいたか、と」
「今は?」
「誰も答えられなかったことまで買い始めています。あなたを初めて知ったのはいつか、とかね」
今度はグラスへ手を伸ばさなかった。
「あなたの情報が何もないことに、向こうも気づき始めています」
過去が見つからない。
それ自体は予定から外れていない。
けれど探す側が、それをただの調査不足ではなく、対象の性質として認識し始めるなら別だった。
「現在、わたくしについて何が流れています?」
「市場調査ですか」
「在庫確認です」
「いい言い方ですね」
ゼノさんは卓へ視線を落とした。
「よく飲む酒。よく来る店。指輪を複数お持ちらしいこと。杖の手入れを頼んだ工房。古典に詳しい」
一度区切る。
「あとは、話が長い」
「最後のものは情報でしょうか」
「評判です。情報より安い」
「売れますの?」
「もう無料で流通しています」
白ワインを飲んだ。
否定する材料はなかった。
渇望
ゼノさんは、まったく困っていない顔で言った。
「市場としては非常に景気がいいんですよ。買いたい人はいる。買い手の懐には金もある。ところが商品がない」
「商人泣かせですこと」
「ええ。本当に」
どこまで本気なのかは、わざわざ測らなかった。
「あなたへ直接、買い付けはなかったのですね」
「来ていません。最初に教えてくれたのは二人です」
「お友達?」
「そこまで気楽な関係ではありませんね」
水を一口。
「一人には、昔、金を貸しました」
「まだ返していない?」
「とっくに返しましたよ」
「でしたら、借りはないでしょう」
「借金なら数字を返せば終わりますからね。恩というのは、もう少し扱いづらい」
なるほど。
「もう一人は?」
「奥方が昔、この店の人間に助けられています」
そう言いながら、ゼノさんはカウンターの方へ顔を向ける。
私もそちらを向く。オルガさんが大きなあくびをしていた。
「数字で返せたら楽だったでしょうが……。自分では返せない恩の方が、頭は上がらないものですよ」
「それで二人とも、あなたへ?」
「ええ。ただ、二件だけなら偶然で済ませました」
「ほかにも当たったのですね」
「何人かに。何を聞かれたかではなく、最近どういう情報に値が付いているかを」
「それで同じ傾向が出た」
「はい」
恩で二つの情報を拾った。
そこから先は彼自身が確かめた。
「なるほど」
皿には、玉ねぎがまだ半分ほど残っていた。
供給
フォークを置く。
「でしたら。クズ石であれば、いくらでもお取りになって」
ゼノさんの眉が上がった。
「それはありがたい」
「価値のあるものは困りますけれど」
「もちろんです。では、メレストーンとして磨き上げましょう」
返答までが速い。
「嘘は?」
「売りませんよ」
そこだけは、いつもの調子だった。
「本当である必要があります。……できれば、まだ誰にも話していないこと。そして磨かなければ無価値なもの」
「随分と難しい注文です」
ゼノさんは目の前のグラスを見た。
淡い金色が、卓上の灯りを端だけに残している。
「これは?」
「その白ですか」
「今日、初めて頼みました」
「そうでしょうね。私も見覚えがありません」
「玉ねぎに合わせました」
「ほう」
「香りが強すぎません。火を通した玉ねぎは甘みが残りますから、重い酒ではそこを潰してしまう。これは酸が残るので、油も後へ引きません」
一口飲む。
先ほどと同じだった。
「ですから……この料理なら、特別に白ワインを選びます」
ゼノさんは数秒、何も言わなかった。
「素晴らしいですね」
「何が?」
「精度の割に、まったく価値がない」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「情報屋としては最高評価ですよ」
耳元へ指をやる。青い雫型の石が、爪に触れた。
「こちらは旅の途中で買いました」
「そのイヤリングですか」
「ええ」
「どこで?」
「そこまで申し上げれば、クズ石ではなくなるでしょう?」
ゼノさんが小さく笑った。
「なるほど。切り分けもお上手だ」
白ワインの話は一つの経路だけへ。
イヤリングの話は別の経路だけへ。
その後、別の場所で、玉ねぎに合わせた理由として「酸が残るので、油も後へ引かない」ところまで尋ねる者が現れれば、最初の情報がどこかで渡ったことになる。
イヤリングの購入地を尋ねる者が別経路から現れても同じ。
「どちらの石が、どこで拾われるかを見る」
「ええ。向こうが集めてくれるなら、こちらも流れを見せてもらいましょう」
グラスを置いた。
「良い商人は、良い品を持っているだけでは足りません」
「耳が痛いですね。今回は品がありませんでしたので」
「良い提案も立派な商品ではなくて?」
ゼノさんは否定しなかった。
「ありがとうございます。では今後ともご贔屓に」
「わたくしの情報を売る店を?」
「あなたの情報を売らない店です」
水のグラスを持ち上げる。
「そこは大事ですよ」
「覚えておきます」
満たす
白ワインは、もう半分を切っていた。
ゼノさんが席を立つ気配はない。
「一応」
声の調子は変わらなかった。
それでも、続く言葉には飾りがなかった。
「相手は金を出しています」
「ええ」
「金を出す人間は、だいたい答えが欲しい」
敵意があるとは言わない。危険だとも言わない。
曖昧な憶測は売らないらしい。
「動きが変わりましたら、以前の契約通りに」
「もちろん」
ゼノさんは水を戻した。
「契約ですから」
それ以上は続かなかった。
厨房から新しい皿が運ばれ、隣の卓で誰かが笑った。入口が開いて、外の冷えた空気が床を這い、すぐに人の熱へ混ざった。
目の前の玉ねぎは少し冷めていた。
一枚取る。
火を通してあるのに、噛めばまだ厚みがある。
その下にも一枚。
旬の玉ねぎはいい。
層が肉厚で、食べ応えがある。