湧いてくるもの
喧嘩になると、野次馬はどこからともなく湧いてくる。
しかも決まって、私が通りたいところへ集まる。
「道を空けろ! 衛兵だ!」
声を張り上げ、前にいた男の肩を押す。振り返った男は私の胸当てを見るなり横へ退いたが、その隙間には別の誰かがもう首を伸ばしていた。
「下がれ! 見物してる場合じゃないぞ!」
後ろでは後輩たちも声を張り上げている。
冒険者が何人も大通りで喧嘩を始めた。剣を抜いた。魔法まで使っている。
知らせはそこまでだった。
錆びた剣亭の近くだというから、また酔っ払い同士の揉め事が大きくなったのかと思ったが、この人数では何があったのかすら見えない。
左右の店先まで人が溢れ、荷車の通れる幅も残っていない。
私は一人ずつ押しのけ、怒鳴り、どうにか人垣の前まで出た。
そこで足が止まった。
大通りに、化け物がいた。一匹や二匹ではない。
道の向こうまでいる。
首のない騎士。肌の白い女たち。頭に角を持つ獣。
見たことのない衣を着た者。翼のあるもの。四足で歩くもの。
私は反射的に腰へ手をやった。
エドワードも隣で息を呑んでいる。
「剣はまだ抜くな」
「はい」
何匹いる。
数えるのを諦めるくらいには多い。
それなのに、妙だった。
こっちを見ていない。
首なしの騎士も剣へ手を掛けない。白い女たちは人へ飛びかからず、何か細長い楽器を抱えて歩いている。角のある獣も牙を剥かない。
全部が、同じ方向へ進んでいた。
大通りをゆっくりと。走るでもなく、獲物を探すでもなく、ただ歩いている。
「……何だ?」
よく見ると、旗があった。
灯りを掲げた者がいる。花を抱えた者もいる。
その間を、黒い大きな箱が運ばれていた。
箱ではない。
あれは。
「棺か?」
棺の前後を異形どもが歩いている。
泣いている者もいれば、歌っている者もいる。
香炉らしいものを下げた一団が通り過ぎ、煙がゆっくりと上がった。
樹脂と乾いた草の匂い。その奥に、妙に甘い香りが混じっていた。熟れすぎた果物を割って、そこへ酒でも垂らしたような匂いだ。
何の作法なのかは知らない。だが、ここまで見ればさすがに分かる。
どうやら化け物どもが、葬式をしている。
「……どうなってるんだ、今日は」
「マーサさん」
エドワードの声も少し上ずっていた。
「誰も中へ入れるな。後ろも詰まらせるな。まず通路を作れ」
「はい!」
エドワードが人垣の端へ走る。
私はもう一度、大通りを見る。
危険がないとは言い切れない。ただ、今のところ異形どもは人を襲っていない。
なら先に、何が起きたのか聞く。
右手の店先に見慣れた顔があった。
「おい!」
初老の店主がこちらを向いた。
「ああ、マーサさん」
「見てたか?」
「嫌でも見るよ。店の前でやられちゃな」
この通りを巡回するようになって長い。この男の店にも何度も顔を出している。
夜中に騒いだ客のことを聞いたこともあるし、夏場に水を一杯もらったこともある。
面白半分に話を盛る男ではない。
「最初から頼む」
「最初って言ってもな。冒険者が何人か、そこで怒鳴り合ってたんだよ。二組だったと思う」
「何人だ?」
「六人……七人……いや、もっといたかな」
「武器は?」
「出た。剣も斧も」
「魔法は」
「あったよ。火も飛んだ。あっちの壁に何かぶつかって、石が欠けた」
店主が指した先を見る。
壁の一部が割れていた。
「それで?」
「錆びた剣亭からギルバートが飛び出してきた。あと何人か一緒にな」
「うん」
「それから赤い髪の、小さいお嬢さん」
私は店主を見た。
「赤毛?」
「ああ」
「扇子を持ってたか?」
「持ってた」
嫌な予感がした。
「……あのお騒がせのお嬢様か」
「知ってるのか」
「何度か」
最初に会ったときは、路地に男が三人転がっていた。
殴られた様子はなかった。蹴られた様子もなかった。
ただ、三人揃って気持ちよさそうに眠っていた。
その横に、貴族のお嬢様みたいな小娘が立っていた。
聞けば、道を塞いで金をせびられたらしい。
本人は妙に丁寧な言葉で事情を説明した。
二度目は、もっとひどかった。大男が一人、小柄な娘の前で震えていた。
私たちが着いたときには、顔をくしゃくしゃにして、もうしない、悪かった、頼むから許してくれと泣きながら命乞いをしていた。
怪我は大したことがなかった。なのに本人は、熊にでも追い詰められたような顔をしていた。
その正面に、あの赤毛のお嬢様が立っていた。
ただ笑顔で立っているようにしか見えなかった。何をしたのか聞いても、結局よく分からなかった。
ミセリコルデ。
本人から喧嘩を売るところは見たことがない。
なのに、会うたび妙な現場にいる。
「そのお嬢様が何をした」
「分からん。扇子を上げたようには見えた」
「何か唱えたか?」
「さあな。怒鳴り声もしてたし、魔法も飛んでたし」
店主は大通りを見た。
「そのあと、いきなりあれが出てきた」
「ギルバートたちは?」
「中へ入っていったよ」
「中?」
「ああ。あの化け物の行列の中へ」
「喧嘩してた連中は」
「さあ」
店主は肩をすくめた。
「まだ中にいるんじゃないか?」
嫌な返事だった。
私は人垣から少し前へ出た。
異形どもの行進は続いている。
歌声。泣き声。楽器の低い音。
その間から、不意に別の声が飛んだ。
「離せ!」
人間の怒鳴り声だった。
次いで、黒い旗の間から大柄な男が出てきた。
ギルバートだ。
若い冒険者の腕を後ろへ捻り上げ、肩を押さえている。
「ギルバート!」
呼ぶと、こっちを向いた。
「おう。来たか」
「来たか、じゃない! 何をやってる!」
「見りゃ分かるだろ。喧嘩止めてる」
その後ろから、もう一人。
錆びた剣亭で何度か見た男が、別の冒険者を引きずって出てくる。
こちらは観念したのか、力なく引きずられている。
「エドワード!」
「はい!」
「こいつらを見てろ。武器を持たせるな!」
「はい!」
捕まった男たちをエドワードへ任せ、ギルバートへ向き直る。
「あれは何だ」
「幻だ」
「……どれが」
「全部」
ギルバートが親指で後ろを示した。
ちょうど、角のある獣が棺の横を通っていく。
「害はない。あの娘から聞いた」
「聞いたから入ったのか」
「ああ」
「よく信じたな」
「信じなきゃ、あいつらが道をメチャクチャにし続けるだけだ」
言われてみれば、その通りかもしれない。
「残りは?」
「三人。たぶん」
「たぶん?」
「最初から数えてる余裕あるか」
「……頼めるか?」
「言われなくても」
ギルバートはまた行列の中へ入っていった。
旗の向こうへ姿が消える。
私はその背を追って、ようやく赤い髪を見つけた。
大通りの端。
異形どもの列と、現実の見物人が触れ合うあたりに、ミセリコルデが立っている。
一人ではない。すぐ前に、いつもの従者がいた。
銀に近い髪。目元を長い前髪で隠した、小柄な女。
普段は主人の後ろを歩いているのに、今日は前にいる。
しかも、レイピアを抜いていた。
だが構えていない。半身にもならない。
剣先を誰かへ向けてもいない。腕を下ろし、ただ真っ直ぐに立っている。
隙だらけに見える。
なのに、近づきたくはなかった。
行列の向こうから怒声が上がった。
従者の顔だけが、そちらへ動く。
体は動かない。剣も上がらない。
それで十分らしい。
私はミセリコルデへ声を掛けるのをやめた。
あのお嬢様がこれをやっているなら、今は邪魔しないほうがいい。
「マーサさん!」
エドワードが呼んだ。
「こっちの野次馬、下げますか?」
「ああ。店先を空けろ。荷車が一本通れるようにしろ。子供は前へ出すな!」
「はい!」
人を集めている何かの横で、人を散らす。
変な仕事だ。
けれど、衛兵の仕事に、変かどうかは関係ない。
行列はまだ続いていた。異形どもは人を襲わない。
棺は進む。香炉の煙が上がる。
そして、その中から一人ずつ、現実の冒険者だけが引きずり出されてくる。
一人。
もう一人。
鼻血を流している者。袖を破られた者。
怒鳴り続けている者。
どれも武器は持っていない。
最後にギルバートが男を一人連れて戻ってきた。
「これで全部だ」
「本当に?」
「今度は数えた」
私は捕まった連中を見渡した。
立てないほどの怪我をしている者はいない。死人もいない。
「武器は?」
「中でまとめた」
「先に言え」
「今言った」
睨むと、ギルバートは肩をすくめた。
それからミセリコルデへ手を上げる。
赤毛のお嬢様がこちらを見た。
扇子が下がる。
音が消えた。
途中まで続いていたはずの歌が切れる。
泣き声が消える。楽器の音も消える。
旗がなくなる。棺がなくなる。
首のない騎士も、白い女たちも、角のある獣も、道を埋めていた異形どもが、一斉に消えていく。
急に大通りが広くなった。
向かいの店の壁が見える。看板が見える。窓から身を乗り出している男が見える。
残ったのは人間だけだった。
捕まった冒険者。錆びた剣亭の連中。野次馬。
壊れた木箱。割れた瓶。ひっくり返った樽。欠けた壁。
そして、これから全部片づける私たち。
「エドワード」
「はい」
「見物は終わりだ。散らせ」
「はい!」
私はミセリコルデのところへ向かった。
従者はもうレイピアを納めている。さっきより主人の近くへ戻っていた。
「お嬢様」
呼ぶと、ミセリコルデが振り向く。
「今回はまた派手にやったな」
口が開く。
「……ゥ、ァ……」
ひどく濁った声が漏れた。
ミセリコルデの顔が歪む。
次の瞬間、激しく咳き込んだ。
一度ではない。
細い肩を揺らし、扇子で口元を隠す。
「おい」
近づこうとすると、従者が半歩だけ主人へ寄った。
敵意ではない。だが、それ以上近づく必要もなかった。
「大丈夫か?」
返事はない。
あれだけの魔法を使ったあとだ。
喉でもやられたのかもしれない。
従者も慌てていない。それなりにあることなのだろう。
なら、今はいい。
「無理に喋るな」
ミセリコルデは扇子の向こうで、わずかに頭を下げた。
いつもなら、聞いたこと以上に丁寧な説明が返ってくる。
それが黙っていると、妙に静かだ。
「ギルバート」
「なんだ」
「先にお前から聞く」
「俺かよ」
「喋れるだろ」
「そりゃな」
店先まで連れていく。
話は簡単だった。
冒険者同士が揉めた。武器が出た。魔法が出た。
止めようとしても収まらなかった。
ミセリコルデが、さっきの異形どもを出した。
あれが始まると、見物人まで集まって道が埋まった。
喧嘩していた連中は、仲間がどこにいるかも分からなくなったらしい。走り回るにも、人越しに魔法を撃つにも具合が悪い。
ギルバートたちも動きやすかったわけではない。
ただ、こちらは最初から何をするか決めていた。ばらけた相手を見つけて、武器を落とすか、組みつく。それを繰り返した。
ギルバートの説明は、それだけだった。
「誰が先に武器を抜いた」
「そこは見てない」
「誰が何の魔法を使った」
「知らん」
「壊れた物は」
ギルバートが大通りを見る。
私も見る。
欠けた壁。割れた瓶。潰れた包み。倒れた樽。
店先では、さっきの店主が何かを拾い上げ、顔をしかめている。
「……結構あるな」
「あるな、じゃない」
「死人は出てない」
「それは助かった」
「だろ?」
「書類が減るわけじゃない」
ギルバートが笑った。
私は笑わなかった。
事情聴取。
怪我人。物損。魔法の使用。武器の押収。通行妨害。
目撃者は山ほどいる。
しかもその半分は、街中を首なし騎士や化け物の群れが歩いていたと証言するだろう。間違ってはいない。私も見た。
だから余計に面倒だ。
額を押さえる。
「……今回は何枚書けば済むんだ」
顔を上げた。
少し離れたところに、ミセリコルデがいる。
まだ扇子で口元を隠していた。
隣には従者。
もう剣は抜いていない。
さっきまで大通りを埋めていた異形どもの姿は、どこにもない。二人だけが残っている。
また、このお嬢様だ。
「エドワード!」
「はい!」
「紙、多めに持ってこい!」
遠くから返事が飛んでくる。
私はため息をついて、まだ散りきっていない野次馬のほうへ歩き出した。