もう一つ
今週も、問題はなかった。睡眠、食事、頭痛、眩暈、必要なところだけ聞き直す。
問診票へ目を落とす。前回と大差はない。
「では、また一週間後に」
「うん」
紙を揃えて鞄へ戻す。
椅子を引いたところで、
「もう帰るの?」
ロゼさんが言った。
立ち上がりかけたまま、そちらを見る。
ロゼさんの手は机の上に残っていた。
「ええ。そのつもりでしたが」
「あ、いや……急いでないなら、お茶くらい飲んでいけば?」
「お茶ですか」
「もらったお菓子があるんだ。私一人だとなかなか減らなくて」
机の端に置かれていた包みを持ち上げる。紐はすでに解かれていて、折り返した口から中の布が見えていた。
予定はない。このあと宿へ戻るだけだ。
「でしたら、いただきます」
「よかった」
椅子へ座り直す。
置かれた皿には、小さな焼き菓子が四つあった。丸く、中央だけ色が濃い。
「何のお菓子ですか?」
「分からない」
「分からないものを勧めているのですか」
「食べ物なのは分かってるよ」
「そこは重要ですね」
「でしょう?」
ロゼさんが一つ取ったので、わたくしも手前の一つを取る。
表面は乾いている。割るほどではないので、そのまま端を噛んだ。
甘い。
ただ、砂糖だけの甘さではない。舌に残る香りがある。
「蜂蜜でしょうか」
「うん?」
「生地に蜂蜜が入っていますね。おそらく」
もう一口。
香りは焼いた表面より内側の方が分かりやすい。
「それから、何か香辛料が」
「そこまで訊いてないよ」
顔を上げる。
ロゼさんは焼き菓子を半分ほど食べていた。
「そうでしたか」
「感想を聞いただけ」
「甘いです」
「それは見れば分かる」
「見ただけでは糖度は分かりません」
「じゃあ食べれば分かるね」
「ええ」
ロゼさんが茶を用意するあいだに、一つ食べ終えた。薄めの茶だった。
焼き菓子の後では、その方が飲みやすい。
「甘すぎない?」
「菓子としては、この程度ではありませんか」
「好き?」
カップを置く。
「嫌いではありません」
「それ、好きな人の答えじゃないよね」
「好きか嫌いかの二択でしたか?」
「違うけど」
「では問題ありません」
ロゼさんが茶を飲む。話はそこで一度切れた。
問診票は机の端にある。先ほどまで開かれていたページは閉じられ、上に置いた筆記具ももう使わない位置へ揃えられている。
皿には二つ。
茶はまだ半分ほど残っていた。
「これ、誰にもらったんですか?」
「警備の子。実家から送られてきたんだって」
「なるほど」
「一箱もらってね」
もう一口飲む。
先ほどより温度が下がっている。
「ミルさんなら、もっと甘い方を好みそうですね」
「ああ、ミルは好きそう」
「これは蜂蜜の方が強いので、見た目ほど単純な甘さではありません」
「また始まった」
「訊かれたので」
「今は訊いてないよ」
そうだった。
茶を飲む。
ロゼさんもカップを持ち上げる。
それからしばらく、何も話さなかった。
廊下を人が通る。扉の向こうで声がして、遠ざかる。
カップの縁へ口をつける。もう熱さを確かめる必要はない。
残りは三口ほど。
飲み終えれば帰ればよい。
ロゼさんも黙っている。
最後の一口を飲んで、カップを置いた。
鞄へ手を伸ばす。
「もう一個食べる?」
手を止める。
皿を見る。二つ残っている。
「先ほど、一人では減らないと仰っていましたね」
「言った」
「でしたら」
鞄から離した手で、一つ取る。
「もう一つだけ」
「うん」
ロゼさんも残った方へ手を伸ばした。
二つ目は、割らずに食べた。蜂蜜の香りは同じだった。香辛料は、結局よく分からない。
皿が空になった。
「あ」
ロゼさんが言う。
「なくなった」
わたくしも空になった皿を見る。
「全部いただいてしまいましたね」
「半分は私だよ」
「そうでした」
今度は立っても、呼び止められなかった。
鞄を持つ。
「では、来週」
「うん。また来週」
扉を開ける。
問診は十四分だった。
帰る頃には、茶も菓子も残っていなかった。