一つ詰める

夕食には少し早いと思って錆びた剣亭へ入ったが、予想より客が多い。
入口に近い卓はすでに埋まり、壁際も二人連れと三人連れで塞がっている。
奥では椅子が一脚だけ余っていたものの、その周囲には荷物が積まれていた。
空席がない。

珍しいことではない。この時間なら、あと半刻もすればさらに増える。

ギルバートさんがこちらを見た。
「席は一つでいいな。今、相席しか空いてないが」
「構いません」
「じゃ、あそこ頼む」

指された先には、オルガさん、ゼノさん、ダグラスさんがいた。三人で四人掛けを使っている。
従者が先にそちらへ向かった。

繁盛

「失礼いたします」
「おう」
オルガさんが、空いている席の前まで出ていた小皿を自分の方へ引いた。杯も少しずらす。

従者が椅子を引いた。
座ると、膝の位置に合わせて椅子が少し前へ押される。

従者はそのまま数歩下がり、給仕の通る道を避けた位置で立ち止まった。

「それでですね」
ゼノさんの話は、わたくしが座る前から続いていたらしい。
「本人は東街道から戻ったと仰っていたんですよ。ええ、それ自体は間違いではありません。ただ、三日前には南門の宿で食事をしていたそうでして」
「だから何だ」
オルガさんがパンをちぎった。

「いえ、何も。ただ、東から帰った人間が、その三日前に南にいたというのは、少々面白いでしょう?」
「回ったんだろ」
「私も、そう思います」
「じゃあ終わりじゃねえか」
「終わりですね」

ゼノさんは素直に頷いた。

それでも話そのものは終わらなかった。南門の宿の主人がどこまで覚えていたか、その男が以前にも旅程を少し大きく語ったことがあるだとか、本人の馬だけは実際によく走るだとか。
ゼノさんが残す話は、有用なものだけではないらしい。


料理が来た。肉と豆を煮たものに、黒いパン。それから赤ワイン。
ここでは何度か頼んでいる組み合わせだった。

一口食べる。
前に食べたときより、塩が少ない。肉の側か、煮汁全体か。一口だけでは分からない。

もう一口。煮汁だった。

卓上を探す。
塩入れはダグラスさんの向こう側にある。手を伸ばせば届かない距離ではないが、皿と杯の間を越えることになる。
腕を上げたところで、ダグラスさんの手が先に動いた。塩入れが卓の上を半分ほど移る。

「ありがとうございます、ダグラスさん」

ダグラスさんは一度だけ頷いた。

塩を少し足す。
一口。これでよい。

「やっぱり薄いですよね」
ゼノさんが言った。こちらを見ている。

「前よりは」
「でしょう? 私もそう思ったんですよ」

「お前、さっきからパンにまで塩振ってたじゃねえか」
オルガさんが言った。

「確認ですよ」
「何をだ」
「わかりません」
「ならやるな」

ゼノさんは塩入れへ手を伸ばした。わたくしの前まで来ている。

手元から少し押す。
「どうぞ」
「ありがとうございます、ミセリコルデさん」

塩入れは、元の場所までは戻らなかった。ゼノさんとわたくしの間に止まる。

しばらく、そのままだった。

半畳

客がまた二人入ってきた。背後でギルバートさんが何か言い、椅子を動かす音がする。
こちらの卓には関係がない。

食事を続ける。

ゼノさんの話は、いつの間にか別の人物へ移っていた。
「本人から聞いた話なので、これは本当なんですが」
「お前がそう言うと余計に怪しいな」
「困りましたね。普段から本当のことしか話していないのに」
「全部は話してねえだろ」
「それは別の話でしょう?」

オルガさんが鼻で息を吐いた。

ダグラスさんは食べている。

大きな皿を持った給仕がこちらへ来た。
「これ、どこ置く?」

卓上を見る。四人で使えば、広くはない。
積まれた空の小皿。パン籠。三人分の杯。わたくしのワイン瓶。調味料たち。置けないわけではない。
自分の皿を少し手前へ寄せ、杯を右へ移す。
同時に、オルガさんが空いた小皿を二枚重ねた。パン籠をゼノさんが持ち上げる。
中央に場所が空いた。

「そこ」
オルガさんが言う。

給仕が皿を置いた。焼いた根菜だった。
パン籠が戻される。今度は前と少し違う位置だった。
わたくしの杯も、そのままで問題ない。

「そういえば」
ゼノさんが根菜を自分の皿へ取った。
「ミセリコルデさん、次の公演はいつです?」

「まだ決めていません」
「そうですか。前回、最後まで聞けなかったんですよ」

「仕事だと言って立っただろ」
オルガさんが言う。

「ええ。残念でした」
「金もらってんだから行け」
「行きましたよ」
「ならいいだろ」

「ですから、次は最後まで聞こうと思いまして」
ゼノさんがこちらを見る。
「同じ話をなさる予定は?」

「しばらくはありません。あれは三回続けましたから」
「三回でしたか」
「あなたが二回しか最後までいなかっただけです」

一拍置いて、オルガさんが笑った。

ゼノさんは少し考えたあと、
「なるほど。それなら私の方に問題がありますね」
と頷いた。

ダグラスさんは何も言わない。


食事へ戻る。

ゼノさんの次の話は、最初の数文を聞き逃した。途中からでも困らない。

オルガさんが根菜の皿をこちらへ少し寄せた。
自分の皿に一つ取る。
残りをダグラスさんの方へ押す。ダグラスさんが二つ取る。
皿はまた中央へ戻る。

パン籠はダグラスさんの前へ寄り、空になった小皿はオルガさんの手元で重なった。

塩入れはいつの間にかオルガさんの側へ移っていた。

わたくしのワインも少し減った。

一手隙

店の騒がしさは、食事の半ばを過ぎた頃から少しずつ薄くなった。
先ほど入ってきた二人組が先に立つ。そのあと、壁際の六人組も勘定を済ませた。
椅子が戻される。

ギルバートさんが皿を重ねて運んでいく。

客が減るにつれ、卓と卓の間に床が見えるようになった。最初に入ってきたときにはなかった空白だ。
壁際の二人掛けからも客が立った。
今なら、一人で座れる。

料理はあと少し。パンも一切れ残っている。杯にもワインが残っていた。
席を替えるなら、皿も杯も動かすことになる。

「で、その男がですね」
ゼノさんの話は続いている。
「結局、馬だけ売らなかったんですよ。あれほど金に困っているのに。私は、そこが一番面白いと思うんです」

「馬の方が賢いんだろ」
オルガさんが答えた。

「それはありそうですね」

ダグラスさんがパンをちぎる。

わたくしも残っていた一切れを取った。
少し冷めている。

最初に来たときより店は静かで、給仕の足取りにも余裕がある。

塩入れは中央にある。
根菜の皿には一つだけ残っていた。

「それ、食います?」
オルガさんが訊いた。

「いただきます」
「ん」

皿がこちらへ寄せられた。最後の一つを取る。
空になった皿を、今度はわたくしが卓の端へ寄せた。

ギルバートさんが通りがかりに持っていく。

わたくしも、残った食事を続けた。

壁際の二人掛けは、最後まで空いていた。