幕間
第一幕が終わると、客席のあちこちで人が立ち始めた。
すぐに続くわけではない。席を離れるには十分な間がある。
膝の脇へ立てていた杖を取り、先を床へ置く。
肘掛けへ軽く手を添えて腰を上げたところで、視界が一拍遅れた。床は動いていない。
それでも目だけが、まだ座っていた高さを探しているような具合だった。
まったく、扱いやすい身体ではない。
杖へ体重を預けるほどでもない。
その場で一度息を入れると、正面の通路も、人の肩も、元の位置へ収まった。これなら問題ない。
問題があるとすれば、このままもう一度座る方だった。
幕間も大人しくしていた方が楽ではある。
少なくとも、今は。
そのまま第二幕の終わりまで座っていれば、立ち上がる頃には脚も腰も、今よりずっと言うことを聞かなくなる。
そこまで含めれば、間に歩いておいた方がよい。
巡回
杖をついて通路へ出る。
何人かはそのまま席に残り、何人かは連れ立って外へ向かっていた。人が増えすぎる前に抜けた方が歩きやすい。急ぐ理由はないので、流れの端を選んで進む。
エントランスまで出れば十分だろう。
第二幕が始まる前に戻ればよい。
そう考えて角を曲がったところで、こちらへ歩いてくる人影が止まった。
「妹ちゃん?」
ロザリンさんだった。警備部門の制服姿で、手には角の揃った数枚の書類を持っている。
「こんにちは、ロザリンさん」
「こんにちは。……何してるの?」
「観劇です」
答えると、ロザリンさんは一度、わたくしの後ろを見た。
劇場へ続く扉。その向こうから、幕間に出てきた客がまだ何人も流れてくる。
「あ、ほんとだ」
「ほかに何に見えました?」
「ううん。なんか、普通にいるから」
よく分からない。
普通に来たのだから、普通にいるのは当然だと思う。
「ロザリンさんは?」
「お姉さんは仕事。大きい舞台装置を出す時間、こっちと警備で合わせてたの。もう終わったところ」
「搬出ですか」
「うん。人がいる時間に動かすものじゃないからね」
ロザリンさんは書類を片手に持ち直した。
「で、どうだった?」
「まだ第一幕ですから、全体については何とも」
「そっか」
「ただ、後半まで見て確かめたいところはいくつかあります」
「へえ」
「第一幕だけで閉じているなら、それでも構いません。けれど、あのまま残すなら、後半でもう一度触れるはずですから」
ロザリンさんが頷く。
「ちゃんと見てるんだね」
「見に来ていますから」
「それはそうなんだけど」
笑っている。
「それと」
「うん?」
「もう一点、気になるところがありまして」
言ってから、ロザリンさんがまだこちらを見ていることに気づいた。
「……何でしょう」
「何でもないよ」
分からないままでも支障はないので、そのままにした。
「これ、いつまでやってるの?」
「今の演目ですか?」
「うん」
「確か、次の休演日を挟んで……」
日付は分かる。ただ、最後の日だけ念のため確認した方がよい。
鞄を開け、折り畳んだ公演予定表を取り出した。開くと、折り目が最初よりずいぶん柔らかくなっている。端も少し丸い。
紙なのだから、何度か開けばそうなる。
「ここまでです」
該当する日を指で示した。
ロザリンさんは日付より先に、折り目を見た。
「それ、ずいぶん見てるね」
「予定表ですから」
「うん」
「確認しなければ持っている意味がありません」
「うん。そうだね」
「次のも来るの?」
ロザリンさんが、その下の欄を指した。
「予定が合えば」
「いつから?」
「十二日からです。最初の公演は午後三時」
答えてから、予定表へ目を落とす。
十二日。午後三時。合っている。
「ええ、記憶通りです」
「見なくても分かってたじゃん」
「間違っている可能性はあります」
「なかったね」
「今回は」
予定表を元の折り目に沿って畳む。
一度目で端が揃わなかったので、指で直してから鞄へ戻した。
顔を上げると、ロザリンさんはまだこちらを見ていた。
「何ですか」
「別に」
「先ほどからそればかりですね」
「ふふ、ごめんごめん」
謝るほどのことでもない。
それより、エントランスに残っていた客が動き始めていた。
一人、二人というほどではない。劇場の方へ向きを変える人が増え、それまで散っていた流れが、同じ方向へまとまっていく。
そろそろ戻った方がいい。
「では、わたくしはこれで」
「もう戻る?」
「第二幕がありますので」
「あ、そっか。じゃあ、お姉さんも戻るね」
「ええ。また」
「うん。またね、妹ちゃん」
ロザリンさんは警備部門の方へ歩いていく。
こちらも杖の向きを変えた。
さきほど立ち上がった時より、脚は動く。
劇場へ続く扉の前では、残っていた客も順に中へ戻り始めていた。
杖をつき、客席へ戻る人の流れに入った。