別件なんすけど
確認した範囲に、新しい異常はなかった。
椅子を元の位置へ戻し、机の上に出していた紙を揃える。
書き足すことはほとんどない。前回から悪くなったところはなく、急いで別の処置を考える必要もない。
次も少し間を置いて状態を見れば足りるだろう。
「では、今日はここまでにいたしましょう」
「うん。次もここでいいよね、妹ちゃん」
ロザリンさんは当然のように言った。
わたくしが借りている宿屋へ来てもらう方が、楽なのだけれど。
道具もある。人の出入りも管理できる。
終わればそのまま自分の生活へ戻れる。
ただ、この話は以前にもした。
ロザリンさんにとっては、勤務中に時間を空けられ、何かあればすぐ人を呼べるこちらの方が都合がいいらしい。
少なくとも、治療上の問題ではない。
「ええ。構いませんわ」
今はそれでよい。
扉を閉めれば、今日するべきことは終わった。
警備部門の廊下を出口の方へ歩く。
最初に来た頃より、途中で止められる回数は減った。
前回まではこちらの顔を確かめてから会釈していた警備員が、今日は先に頭を下げた。名前は知らない。
「ごきげんよう」
返して、そのまま通る。
別の扉の前では、書類を抱えた職員が道を空けた。
数日おきに同じ場所へ出入りしていれば、珍しくなくなるのは当然だろう。受付で毎回同じ説明をする必要がなくなったのは助かる。
問答
角を一つ曲がったところで、ミルさんがいた。
「あ、ミセリコルデさん」
「ごきげんよう、ミルさん」
近づくと、ミルさんはまず面会室の方を見た。
「ロゼちゃん、どうだったっすか」
「今のところ問題ありませんわ。次も予定どおりでよいでしょう」
「ならよかったっす」
ミルさんはそれ以上何も言わなかった。
「では、失礼いたします」
「はい、お疲れさまっす」
軽く会釈して、足を出口へ向ける。
「あ、別件なんすけど」
「はい?」
「握ったら手放せなくなる武器って、本当にあるんすか」
振り返る。
ミルさんは空いた両手を見せていた。何か持ち込んできたわけではないらしい。
「ございますわ」
「あるんすね」
「ただ、一口に『手放せない』と申しましても、同じものではありません」
閉じた扇子を指の間で持ち替える。
「たとえば、持ち上げただけで呪われる場合も考えられますし、所持者や使用者として認識された時点で作用するものもあります。結果についても、手が物理的に離れないのか、持ち主が離そうと思えなくなるのかでは別物ですわ」
「じゃあ、手袋してたらどうなるんすか?」
「接触そのものが条件なら、間に何があるかは重要でしょうね。ただし、皮膚へ直接触れなければよいとは限りません。手放したくなくなる類なら、手袋では変わらないでしょう」
「鎖つけて、鎖の方を持った場合は?」
「それはもう武器そのものを握っていませんから……接触だけを見る品なら避けられる可能性はあります。ただし、武器を使用している者を対象にするなら」
「なら、投げるのは?」
「投げる?」
「握ったまま投げる動作に入って、最後に指が離れないやつ。腕は振れるんすか」
「それは……」
答えかけて、問いの並びを一度戻した。
手袋。鎖。投げる。どれも、どうすれば安全に外せるかという話が、一つもなかった。
被害を最小限にしたい、といった相談には思えない。
「……失礼。解除する方法をお訊きなのではないのですか?」
ミルさんが首を傾けた。
「え?」
「呪いを受けた後、武器を手放す方法を探していらっしゃるのかと」
「ああ」
分かったらしい。
「手放せないだけなら、手放さない前提で使えばいいんじゃないっすか?」
持ち替えかけた扇子が、指の間で止まった。
呪いを消したいのではない。呪われたまま、何ができるのか。
扇子を握り直す。
「それでしたら、見る順番が違います」
「違う?」
「ええ。解除方法は後です。まず、何をすると呪われるか。そして、何ができなくなるのか。次に、その状態が何によって維持されるのかを分けます」
ミルさんの耳がこちらを向いた。
「手が離れないだけなら、腕は動く?」
「手首や腕まで拘束する作用でなければ」
「片手だけ?」
「両手で持った時に両方へ作用するのか、最初に触れた手だけなのか。それも品によります」
「じゃ、両手武器で片手だけ離せたら、そのまま片手で振れる?」
「呪いの上では可能でも、武器として扱えるかは別でしょう。そこはミルさんの方がお詳しいのでは?」
「あ、そこは振れば分かるんで」
返事が早かった。
「では、わたくしが申し上げられるのは呪いの条件までです」
「それで十分っす。じゃあ、武器の方を固定したら?」
「何に、です?」
「柱とか床とか。武器を動かないようにして、持った人の方が動く」
「……なぜ」
「何が起きるか見たいから」
即答だった。
「そういう実験は、ご自分でなさらないでください」
「まだ武器持ってないっすよ」
「まだ、ですか」
「あ」
ミルさんが一度瞬いた。
「言い方よくなかったっすね」
「ええ。たいへん気になる言い方でしたわ」
細分化
最初なら、「品によります」で終えられた話だった。
実物もない。鑑定依頼でもない。
一般論なら、条件によると答えればそれで済む。
ところが、いつの間にかこちらから条件を増やしている。
「そもそも、手放せないという現象だけでは情報が足りません。接触の維持が必要なら、第三者が無理に引き離した時点で終わる可能性もあります。反対に、最初の接触だけが契機なら、その後に距離を取っても」
「待って。それ、最初に握った判定だけ通ったら、後は武器から離れても続くってこと?」
「そのような型なら、です」
「じゃあ、武器を折ったら?」
「そこまで行くと、呪いの核がどこにあるかを見なければ分かりません。刃を折っても柄に残るかもしれませんし、品全体の破壊で消えるものも考えられます」
「柄だけ残ったら、それも武器?」
「武器かどうかは魔法体形ではありません。それを持つ人が決めることです」
「ああ、そっか」
ミルさんは少し考えた。
「武器っすね」
「そうですか」
「振れるんで」
「基準が簡潔で何よりです」
問われるたび、条件を分けて答える。
その条件が、また別の動作になって返ってきた。
こちらが専門用語を挟むと、ミルさんはそれをそのまま覚えようとはしなかった。代わりに、「つまり握った時?」「持ってる間?」「自分から離した時?」と、感覚的な言葉に直して返してくる。
「では、『手放せない』ではなく、『持ち続けるよう強制される』と考えてください。前者なら手の拘束ですが、後者なら持ち方を変えても意味がありません」
「口で咥えたら?」
「……ミルさん」
「条件の確認っす」
「その条件を実地で確認しようとなさらないように」
「一回だけ」
「一回だけで済むなら、呪いと呼んで恐れられません」
酒場で話したときにも、古い武器のことはよく訊かれた気がする。ただ、あの頃は叙事詩の中で誰が何を振るったか、珍しい形の武器が本当に存在したのか、その程度だった。
そしてこちらも、まだ訊かれていない条件まで先に整理していた。
「あと、呪いが使用者を選ぶ型もあります」
「使用者を?」
「血統や種族、信仰や信心、過去の行為。……条件はいくらでも作れます。ですから、他人が安全に握れたことは、ご自分も安全だという証明にはなりません」
「じゃあ、誰かが一回振れたからって試すのは駄目?」
「駄目です」
「分かりました」
妙に素直だった。
「……本当に?」
「そこは分かってるっす。人によって条件違うなら、ミルが振らないとミルに使えるか分からないってことっすよね」
「理解の方向が違います」
「でも合ってる?」
「論理だけなら」
「なら大丈夫っす」
「大丈夫ではありません」
廊下の向こうから声がした。
「ミル、そろそろ戻れ!」
ミルさんが耳を動かし、そちらを見る。
「あ、はい!」
返事をしてから、こちらへ向き直った。
「すいません、巡回戻るっす」
「ええ。お引き留めしましたわ」
「いや、ミルから聞いたんで」
それだけ言って、二歩ほど離れる。
「あ、ミセリコルデさん」
「はい?」
「次、いつ来るんすか?」
「数日あけて、もう一度。ロザリンさんの状態が今のままなら、その後は少し間を延ばせるでしょう」
「じゃあ、その時もう一個聞いていいっすか」
一度、面会室の方を見る。
次の来館日は、すでに決まっている。
「ええ。構いませんわ」
「ありがとうございます。じゃ、また」
ミルさんは今度こそ廊下の向こうへ走っていった。
出口へ向かう。
次もロザリンさんを見て、必要な確認を済ませれば帰る。
そのあとには、内容の分からない「もう一個」がある。
何を訊くつもりなのかは、聞かなかった。